|
2007-09-19 Wed 23:00
今・・人間失格中にて・・・・ ブログの更新は・・・・・・・ 浮上後・・・・・・・・・・・・・しばしの猶予を。 |
|
2007-09-12 Wed 02:58
23時38分が好きだ。
これと言った特別な理由は無いけど ただ・・何となく好きなのである。 ジェットストリーム的に言うなら 今日と明日が出逢う時間と表現できるだろうが。 何も考えず・・静かなる夜の時間の波間に 自分の心を漂わせて、 時には好きな音に、身も心も浸しながら・・・・。 そして・・ふと考えるのである・・・・。 過去と現在・・そしてこれからの自分の姿を。 今日は明日に出逢えるが・・・ 私は誰に出逢うのだろう・・・・か。 |
|
2007-09-10 Mon 23:28
主題なき・・音楽や小説があるように 主題なき・・人生もあるのかも。 主題は自ら探すもの?・・それとも与えられるもの? 何れにせよ・・自分に取り込んだ瞬間 その主題の為に生きることに対峙せねばならぬ。 しかし、主題は主題にあらず・・・ ただ己がその主題であることに躊躇せず 主題として人生を歩き続ける。 だから主題なき人生なのだろう。 |
|
2007-09-10 Mon 00:26
わたしは あなたが 嫌いです |
|
2007-09-08 Sat 22:51
Constant graving has always been around me. |
|
2007-09-05 Wed 23:43
何となく・・・憂鬱かも? |
|
2007-09-04 Tue 23:55
昔から興味があった「モナリザの微笑み」 いろんな角度でその絵を見ていると・・ これは2人の女性を複合して描いたと解った。 そしてとある人物の話に・・偶然にも私と同じ考えを より明確に説明していたのである。 それは・・モナリザの右顔と左顔・・その各々の背景 が全く異質なのである。 モナリザの右半分は「マグダラのマリア」(イエスの妻) そして」左半分が「聖母マリア」なのである。 それは・・モナリザの背景にも顕著に表現されている。 映画のダビンチコードでも・・キリスト教の本質が ローマカソリック教会から改竄されていた・・・と そういう内容で、キリストの本当の教えを受け継いだのは 12使徒ではなく「マクダラのマリア」と言うことであった。 レオナルド・ダ・ビンチは正統キリスト教は「マグダラのマリア」 によって受継がれ南フランスにおいて布教がなされた事実を 何かの資料・伝承で知り。それを検証したのではないだろうか。 しかし、当時はローマカソリック教会の権力は偉大であり それに異を唱えることは邪悪なる者として宗教裁判、死罪に 値する行為であった。それゆえ「モナリザの頬笑み」をはじめ 「最後の晩餐」等の絵画に、真実を密かにに表現していたと 最近色んな研究者の間では唱えられてはいる。 実際に「最後の晩餐」も聖書の内容と比較していけば かなりの相違点が見出せる。ダビンチコードでもそれは 指摘されていたことでもある。 これからすこし・・このことに関して検証をしてみたいものです。 |
|
2007-09-04 Tue 04:15
「死」とは何だろう?
自分が死にたいと考えるのではなく、 死に直面した時、あるいは残された時間に限りがあり 絶対に「死」から逃れられない自分を意識した時、 その精神はどういう状態なのだろうか?と考える。 と言うのも、私の前嫁が他界、そして私の両親も確実に その時を迎えつつある事を現在進行形で感じていると 「死」と言う離別に敏感となり、恐怖を抱いてしまう。 そして思うのである。彼らは「死」に対する恐怖を如何 にして克服しているのだろうかと。 私は「死」と言う未知なる世界には恐怖感がある。 「死」に対する心も準備すらない。 それは若輩な人間であり全てを受け入れられる人間としての 余裕がないから「死」にと言う未知なる世界に対して 恐怖感があるのかもしれない。 自分が確実にこの先数年後・・数ヵ月後に死ぬと言うことが 自分の中で解った瞬間、その人は何を思い何を考え残された 時間を過ごすのだろう? 逃げ出したくとも逃げ出せない状況の中にあって 自暴自虐になっても不思議ではない。 しかし、「死」間近にした両親(同じ状況の人達)は 日々の生活を普段と変わりなく過ごしている。 確かに病気等で余命幾ばくも無い人と 普段通りに日々の生活を送る老人とでは 状況は違うこと重々承知ではある。 「死」を迎えると言うことは「死」に至るまで 生かされてると考えるのか・・・・ それとも生きようと努力するのか・・・・・ 言葉では、「死」とはこういう状況だと理解していても それは所詮言葉の中にある「死」のイメージにしか過ぎない。 「死」を考えていると身近な人間の「死」の中に 生きていく本質・意味がおぼろげに見えてきたような いや・・まだ形すらも見えてはいないが・・・・・ 生きる努力と他人から生かされていると言う この両方の価値の重さが解りかけて来たのかも知れない。 人間は「食う」事が最大の生きる本質と考えるが・・・ 「食う」行為に副次的な行動が徐々に産まれて 現在の我々の生活様式が形成されたと思う。 そして「食う」行為の最終型が「死」となるのだろうが。 今・・「死」を考えて解った事は 如何に自分が精神的に弱いかという・・その一点だ。 「死にたい」と思うことそれ自体、正面から自分と 対峙していない証拠でもあろう。 やはり・・・生かされて生きる努力で「死」を 自然の形で受け入れられるようになる事は とても重要なことだろう。 関わる人と関わった人に感謝する事を もう一度しっかりと学ばなければならないのだ・・私自身。 |
|
2007-09-02 Sun 06:09
突然・・目が覚めた。 自分の心の疚しさが・・夢となり それに慄きパラノイアが蘇った。 今まで何をしてきたのだろう・・・? 人の心を何度も裏切り傷つけて 自分さえ良ければ・・・という疚しき心。 素直にもなれず・・・愚痴を溢す。 溜息ばかりの日々の暮らしに・・・ 自分だけじゃなく 他人をも暗い面持ちにさせてしまう。 この日記も・・私の暗い疚しき心を 素直に書くこと躊躇い・・ 心を見透かされることを恥ずかしいと そういう虚栄心が 言葉に少なからず表情を抱かせている。 素直に寂しいと言えば良いのに・・。 自分を着飾らず・・ありのままの心を晒せば良いのに 誰しも生きていく事に不安も心配もある。 しかし私はいつも自分の事だけを考え 他の人を労る心が欠如した人間だ。 だから少しでも・・明るく・・人と関わろうと 試行錯誤を繰り返しても、それが空回る。 空回れば回るほど相手が私を嫌になる。 悪夢は・・・自分の中の疚しさが創り出す 私の本性である。 だから・・悪夢というのではなく・・・ 私・・・・自身の化身でもある。 死ぬことへの恐怖・・・ それは私が疚しき行為を繰り返した結果、 安息なる死を迎えることが出来ないであろう・・・と 自業自得なのである。 本当は何も無い人間である。 それを悟られたくないが為に ここで・・・言葉を綴り 刹那な自分に酔い痴れては・・・ 自分で慰めてるにしか過ぎない。 過去の業を背負ってる・・などという 洒落た人生でないのに・・・洒落た言葉で過去を また・・自分を彩ってるだけの男なのだ。 惨めで汚い姿を隠して・・生きてきた。 自分を変える難しいい・・と言い訳をする時間は無い。 少しでも変わらなければ・・人間としての価値がなくなる。 今日まで・・私の疚しき心で 傷つけてきた人達に詫びねばならぬ。 心を浄化して詫びなければ・・生きる価値が無い。 嫉妬と憎しみと虚栄だけで・・何も無い人生。 それが私であり・・私のブログなのです。 人として・・存在する価値が見出せなく 自分を浄化さえも出来ぬなら せめて・・恐怖を少しでも排除した死も受け入れよう。 だが、それすらも受け入れることが出来ない 卑怯な人間である・・逃げの人生である。 人の為に生きてみたい・・・・ 人の価値を感じて呼吸をしたい。 残り僅かな時間を・・人の為に使える人間として 一歩づつ歩いていこう。 それしか出来るぬ・・・それが過去への懺悔 この思いをしっかりと根付かせて 心に少しでも無償の気持を芽生えさせよう。 |
|
2007-09-02 Sun 01:07
もう・・何も言葉は無い。
沈黙だけが・・貴女の心を癒してくれる。 すべては・・貴女が知ってる。 嘘も・・真実(まこと)も・・貴女は知ってた。 だから・・何も言葉は無い。 貴女は・・・抱かれた身体と魂を 白き嘘に包み込む。 そして、貴女は自分に言い聞かせる だから・・・・私なのよ・・と。 貴女は女神である。 貴女は聖母でもある。 そして・・貴女は・・おんな。 |
|
2007-09-01 Sat 01:42
ひさびさに・・・・
先々の事も考えず・・・ ふらふらと・・・徘徊した。 しかし、何かを求めるでもなく 何かをするわけでもない・・・わたし・・・ ただそこに・・いるだけ。 いたことだけが、わたしの足跡。 だから何かが変わるわけではない。 はじめまして?かしら? いや・・・ひさしぶりなだけだね。 でしょう?すこし・・変わったような? そう?・・以前とあまり変わらないけど? いや・・・変わらないようにしたいだけかも そうなんだ・・・どうして? うん??・・・意味はないよ。 他愛もない会話が流れていく・・・・ その会話にはカウンターテーブルが必要なのだ カウンターが存在するから・・・ 他愛もない会話がここちよい時間に姿を変えるのだろう。 |
|
| Black&Blue |
|








