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2008-04-22 Tue 00:21
本来は「博覧強記」と言うのが正解なのだが 多分、筒井康隆からの流用じゃないのか?と思う。 本人は至って「普通」人と思いこんでる辺り その思い込みが「狂気」の沙汰らしい。 しかし、所詮は己の価値観がどれ程なのか、と言う 他人と比較対象法にて測る事など無理な事で、 己が何も知らないという前提で「博覧狂気」であれば それがある種の幸福(しあわせ)と言うものだ(笑 さて、希望と言う言葉がある。 希望とは「明るい未来」を前提とした 己の望みの実現性を示唆した言葉である。 が、しかし、この言葉とはあくまでも人間社会、 それも原始的社会から、ある種の宗教を根底とした 規律社会において初めてその言葉が誕生したのでは と考えられる。 自然界の中において「希望」と言う観念等は存在 しておらず、自然の流れに淡々と生物は適応するか 適応出来ずに滅びるか、この2つしかない。 犬が、猫が「明るい未来」で暮らしたい等と言う 「希望」を抱いて野良になっているのだろうか? 草花が年中美しく咲きたいと「希望」を抱いてるのか? 人間以外は自然と共に生き延びて、自然の中で 「生きる」と言う現実を実行しているだけである。 裏を返せば「死んでいく」為に「生きている」のだ。 誠に以って潔いのである。「葉隠れ」の中の武士道 と同じなのだ、いや「葉隠れ」は自然の摂理を 武士道の中へ取り込んだにしか過ぎないのだが(笑 パンドラの箱に最後に残った「希望」とは・・? 希望=死ではないのだろうか? 死して新たなる生命が誕生する。 この連鎖が「希望」なのではないだろうか? これこそ自然の摂理なのだろう。 と・・・何気に考えました(笑 |
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